海が見たい

メモ置き場。自分の話をします。

2019/09/26 おそとでみたもの

価値の差異 / 望みのすれ違い  歪は悪意なく美しい不協和 / 私はカップラーメンを食べない


骨の浮いた脚。

車椅子。

ゆっくりと動く箸でひたむきにラーメンに向き合う。

食欲を唆るカップラーメンの香り。

曲がった背。

ゆるやかに食べる姿はどうしてか勢いがつきすぎているようにみえた。

静の中にある熱と情動。

通りがかり目を丸くして眺めるご婦人が思わず声を漏らし、私はそちらをみる。


「あ、いえ…」

カップラーメンを食べておられる…」


「ええですね。いいにおいがします」


「ああ、におい…。そうですね…。カップラーメンを食べてる…」


去り際にそっときこえる呟き。


「わたしも食べたい」


私もその光景をみて、カップラーメンを食べたかったのだが、一心不乱にラーメンを貪っていたご老人や、思わず立ち止まり、見ず知らずの私に話しかけずにはいられなかったご婦人の持つそれとはきっと違うものだったろう。

私には私のカップラーメンがある。

そう思って健康に気を遣い始めた私はカップラーメンを買って帰るのをやめたのだった。


────────


楽しそうに会話をするご婦人。

手には古めかしい受話器。

通路の一角の狭いスペース、置かれた公衆電話。

ピカピカツルツルと光る子どもたち。

視線だけは話者から外さないが、心はここにない。

明朗に喋る男性。

自信に溢れ、自身の役割をこなす姿をみせる。

続いていく土地の権利と契約に来た大人の話。

ぼやけた老人。

自分が話題の中心のはずだがそんな素振りは一切なく、やはりまた心はここにないようにみえた。


再び出会った子どもたちは、楽しそうに帰っていくところだった。


────────


強く心が動く光景があった。

今はもう忘れてしまった。ひどく心が揺さぶられ、現実の身体が一瞬よろめいたことと、それを気取られないようにシャッターをして日常に戻ったことは覚えている。

現実にない光景を追って、しっかり掴まえて自分の心に留める時間を許さないほどに生活は忙しく、溢れる情報の波で遠くへと流れていったことに気づいたときにはそこを泳いでいこうという気力もなくなっていて、私はそれがとても悲しいのだ、ということに気づいたのさえついさっきだった。

また会えるのは知っていても、同じ姿をしているとは限らず、その瞬間私にだけみえた光景を手放してしまうほどの価値を私はきちんと理解しているのだろうか。

自分が悲しいことすら忘れてしまうのに。

記録を取り始めたことによる功罪かもしれないし、思い出すだけの余裕が増えたのかもしれない。情報は多い方がいい。