2019/11/19
自分の答えが固まっていない状態で、他人の答えが情報として入ってくることを好かないのだと思った。
小さいころなんかは自分が何を大事にしているのか、どこを目指したいのかも明確に分かっていなかったので余計に。
自分の状況を知る他人が多い、というか、自身が開示していない(知らない)情報から答えを出した人間に囲まれる状況、どうしてもノイズになってしまう、と思ってしまうたちなので。
意見をきくのは好きなのだけど、考えている最中にいきなり答えが外からとんでくるのはいやなのだった。一緒に考える、ならまだ許容できる。
>2019/12/16
ネタバレについての所感。
与えられた情報から、自分で答えを出したい。すべてが出揃う前に、発信側が想定していないタイミングで自分に情報が入るのが×。推測は答えではないのでまた別だし、事故もしょうがないとは思っている。
ただ、自分の中でまとまるまでは受け止める余裕がないのだと思う。自分で供給を受け止める基礎、自分の中のラインや価値基準ができてから積み上げていきたい。それがないタイミングでワッと入ってきて持っていたものを見失ったり、忘れたりすることがこわいのだと思う。
本来あったはずの向き合ったときに出る自分の感想、公式の正解はともかく、他人の正解にも上書きされてどこかにいってしまいがちだし、それを取り戻す手段も持たないので。
処理できる情報のキャパ(自分の中で組み立てた世界は完成するまでほかの情報と区別ができない)も関係している気がする。
情報が多ければ多い方がいい人もいるのだろうけど、自分はゴールしたあとに自分の中に完成した世界を愛すし、その構築も非常に楽しいので、物語の楽しみ方がより主観的なのかもしれない。俯瞰的にみることはあとからいくらでもできるので、道中は入り込んでみたい。逆ができればこんなネタバレアレルギーみたいにならなくてもすむのだろうけども、知っているを知らないにするのは難しそうなので、知らないときは知らないことを楽しみたい、ということなのだと思う。
>2020/03/03
これはだから、娯楽としての意味合いがつよい、ということだと思う。
管理するよりかは振り回されたい、飼い慣らすよりかは一緒に遊びたい。そういう動き。
あとから前者にシフトすることは容易くても、逆の構築は自分には難しいのだろう。
丸呑み癖があるのでこちらでしっかり考えを持っておかないと引きずられてしまい、あとから修正するのが面倒なのもある。
最初は純粋に出されたものだけを丸呑みたい。