海が見たい

メモ置き場。自分の話をします。

20190903 ラブレター



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私は、彼女のことが好きだった。

竜族を愛し、この旅が落ち着いたらドラヴァニアの森の中、不浄の三塔のみえる場所に居を構えて暮らすのだと言っていた彼女が好きだった。
霊災の残香たる神々を平らげたあと、あるじのいなくなった拘束艦の奥で静かに床へ体重を預け、青い燐光に照らされたまま、何を見ているとも知れぬ眼差しでいつまでも動かない彼女が好きだった。
新しいことを知りたがり、抑えきれない好奇心で後先考えずに川や沼に入り込み、ごみや泥まみれの服を人目もはばからずその場で洗い出す彼女が好きだった。
あまり動かない表情と抑揚の薄い声で、でも、私には分かる確かな熱をもってそこであった発見や体験をポツポツと話してくれる、そんな彼女が好きだった。

彼女はいつだって何かに向かっていた。
生き物、流行りの服、不思議な模様の岩壁、遠い宇宙からきた古代の兵器、息抜きの散歩に至るまで、彼女が語れば他に類を見ない唯一の輝きを持つ宝石となって私の心に届いたし、彼女こそがキラキラと楽しそうなその輝きの発生源なのは明らかだった。

私は、古い書物の一節に興奮するあまりに普段は選ばないような聞き慣れない言葉を矢継ぎ早に繰り出してその凄さを伝えようとする彼女の姿や、 時折ちょっと先の自身の未来についての夢を、ご褒美に最上のお菓子を差し出された子供のような瞳で語る彼女を愛していた。
彼女の希望を叶えたい、彼女の喜ぶことをしてあげたい、そう思って、彼女に手の届く距離から彼女の旅を見守り続けており、それはそのまま私の喜びだった。

だが、何もみえてなどいなかったのだ。
私の手は彼女には届かない。

もとより、彼女には人のすぎるきらいがあると思っていた。
助けを求める声、自分の力が必要な状況、彼女を頼る人々、そういったものすべてに彼女は手を差し伸べているようにみえた。
手を差し伸べ、みごと期待に応えてみせる。
力ある彼女は当然のように多くを救い、周囲もそれを英雄だのなんだのと受け入れていた。まるでそれが当たり前であるかのように。
『英雄』をしているときの彼女は、命のかかった選択と、命のかかった戦いばかりをしていた。
命のかかる戦場にいるならば、そういった別れも当然起こる。
重たい役目を次々とこなしていく『英雄』の彼女は、何を考えているのか分からなかった。
もちろん嫌々などではなく、彼女は自ずから手をあげて求められるまま動いていたので、私は何も言うことができなかった。

ことが落ち着いたのち、彼女は出会った人や、戦った神様について話してくれた。
楽しいばかりではないその話や、時折曇る彼女の表情に私は胸を痛めた。

どこが『英雄』なんだろう。
こんな、ちょっと人が好くて、好奇心が旺盛で、魔導書を集めるのが好きで、初めて食べたうどんに感動してしばらくそればかり食べていた、そんな女の子に世界は何をさせているんだ?どうしてそんな重たいものを簡単に背負わせられるんだ?
彼女も彼女でなんでそんなことになってしまったのだ。途中で降りたってよかったはずだ。

そう思う私の心はしかし、『英雄』としての道のりを、大切な思い出として聞かせてくれる彼女の前では言葉としては出てこなかった。
そして、それでもやはり彼女から語られる言葉たちは、私の目に煌めく宝石として映るのだった。

そんな風に彼女のことを好きになっていった日々が、彼女のことを誰よりも理解していると思い込んでいた日々が過ぎて、私は大きな思い違いをしていたことに気付くことになる。





きっかけは夜だった。
例によって助けを求められた彼女は忌憚なくその真価を奮い、討伐不可能といわれていた異形をくだしてのけた。

なぜ討伐が不可能か。理由は簡単で、異形が滅する際にその身体から発されるエネルギーによって、そばにいた生物……、異形を殺したその人が同じ異形へと化すからだった。
何も聞かされることなく求め通りに異形までたどり着き、命を削る戦闘を経て、それを打ちたおした彼女に、件のエネルギーはルールどおりに降り注いだ。

そして、何事もなかったかのように、彼女はそこに立っていた。
ルールから外れた状態で。

いわく、「光の加護を受けた特別な存在」だから、と。

彼女はその世界に何人といない特別な加護を受けていて、だから、彼女なら異形を殺すことができる。
裏を返せばつまり、彼女がいなければ異形を殺すことはできないと、そう言っているようなものだった。

吐き気がした。
人が好いから、とかそういう次元の話ではない。彼女には選択の権利すら残されていないようにみえた。
彼女がただ彼女として存在しているだけで、世界の存亡を揺るがすような戦いへと身を投じることを迫られている。
今までの、ただ腕が立つから、戦いにあたり利のある性質を有しているから、というそれとは一線を画している。
自由意志の体を取ってはいたが、個人にしかそれがなしえない状況で、リスク度外視の超リターンを要求するという状況、そんなのはもう拷問だ。
そう思って、行き場のない憤りを抱えたそのときだった。

話を聴き終わった彼女が、静かに振り返ると。
私をみつめて微笑んだ。

途端、私にみえていた世界は動きを止めた。





彼女を取り巻く人間たちと、夜の闇と、暴虐が尽くされた村の残骸。
さきほどまで鮮やかな彩りをみせていたそれらは静画のように息をひそめ、その中心で彼女だけが、優しく、どこか楽しげにすらうつる笑顔を浮かべている。
すべてが止まった世界で軽く身を翻した彼女は、そのまま動かぬ絵画の奥へ歩き去っていき、やがてその姿はみえなくなった。
そんな強烈な錯覚が一瞬で脳裏を駆け抜けた。

彼女がいなくなる、というショック。
そこからくる情動が落ち着いて再び目をやれば、彼女はただ、静かにこちらに微笑みかけているだけだった。

数ヶ月は彼女の微笑みを眺めていただろうか。
動けないままの私を歯牙にかけることなく、ふわ、と髪をなびかせ、彼女は自身の旅路へと戻っていった。

実際は数秒たらずの出来事であったし、正確にいえば、私を見たわけではなかったのだろう。
後ろにいた異形を斃すために共に同じ地を踏んだ徒輩ともがらに、そしてその遥か後ろにいる、異形を斃すことによって辺り一帯に戻ってきた夜の闇を喜ぶであろう人々に向けて、彼女は、心から幸福だといわんばかりの笑みをみせていた。

どうして笑っているのか。
どうして笑えるのか。

遥か遠くへといってしまい、二度と帰ってはこない彼女。
私の手から離れ、 振り返ることなく笑顔のままいなくなり、もう戻ってくることはない。
そんなことはありえない。
起こりえないはずだ。
それならば何故。
否定の繰り返しと疑いの積み重ねは、突如噴き出たその錯覚の理由として、彼女のことを何も分かっていなかった私自身を示していた。

最初から手の届かない存在だったのだ。
なんてことはない、彼女は、私の愛する彼女の多くの部分……彼女の喜ぶこと、興味のあるもの、叶えたい夢……そのすべてを軽々と捨て去ってしまえるくらい、「誰かの助けになる」ことに価値を置いていたのだった。

選択の権利がないわけではなかった。
私が勝手に同情し、勝手に憤っていただけで。
彼女はいつだって、心の底から湧き出る意思に従って、自らの進む道を選び続けていたのだった。

その精神はあまりにも理解から遠く、私はそのことに気がつかなかった。
いや、そんなことはありえないと思い込もうとしていただけで、最初からずっと、彼女は誰かの光となったときにこそ美しく輝いていた。
私の助けなど、私の彼女自身の希望を叶えてあげたい気持ちなど、はなから見当違いだった。

彼女自身の光を、いわば太陽としての彼女を愛した私と、誰かの願いを反射して輝く月であるときに最も美しく輝く彼女という存在は、はじめからすれ違っていたのだ。

そして、彼女の笑顔に射抜かれたその瞬間に、私は気付いてしまっていた。
彼女に縋る人々だけでなく、彼女自身もまた月として存在することを望んでいる。

世界に何人といない特別な性質を持っていたのが自分で良かった、と、彼女は言うだろう。
ほかの誰でなく、その言葉を素直に言うことができる彼女自身に、光の加護が宿って良かった、と。

私の願いなどとは無関係に。
私が彼女に望む幸せなどとは無関係に。





通い詰めている大図書館や、逆さの塔での資料集めが足りていないはずだった。
開かずの扉、触れられない本棚、叡智の番人、知識欲の塊である彼女が望む情報はまだまだ眠っていて、揺り起こされるときを待っていた。

旅して見知ったたくさんの生物と多様な生態系を存分に研究してほしい。どんな場所でも生き物は常に彼女の心を掴んでいた。
焼き尽くされた真白な土地に眠る文明の跡と、エーテルの枯渇した環境で育まれた生命たちに興味津々だったのを覚えている。
植物園でのキャンプを畳んだら次はそこに行く予定だった。

のんびり歩きながら旅の仲間とたくさんの景色をトームストーンに残すのもいい。
荒れ果てていたことを忘れるほどに見事な復興を遂げたあの町は、立ち寄るたびに腕によりをかけた作りたての料理を「こんなにたくさん食べきれない」といっても無理やり押し付けてくる優しい笑顔の女将さんがいて、町民が憩う風雅な庭でお弁当を広げるなら、一人よりもきっと誰かと一緒の方がいい。

眠りについた大切な友と、また語らう方法を探してくれてもいい。

ドラヴァニアの森の中、不浄の三塔のみえる場所に居を構えて暮らし、ときどきソーム・アルの秩序を確認しながら、静かに座す竜たちと心を交わす。

そうして、いずれは、信頼できる相手をみつけて家庭を持つのだろう。

手先が器用で、モノを作ることが得意な彼女なら食い扶持に困ることもない。

彼女は狩りが上手で、かわいい服を着ることが好きで、だから……。

だから、世界の危機なんて他の人にまかせて、危なくないところで好きなことをして暮らしてほしい、なんていう私の願いは。

最初から私だけの願いでしかなかったのだ。





私は、彼女のことが好きだった。
私の望む幸せを彼女が望んでいなくても、私は彼女のことが好きだった。

茫漠とした、すべてをのみ込み、すべてを受け容れる暗き海。
背負った夜闇を照らす小さな瞬きの光を浴びて微かに白く輝き、微笑む彼女。
その存在が、その心が、どれだけ私から遠くても、彼女は確かに私に向かって笑ってくれていた。
きっと誰でもない、私に向けての笑顔だったと、信じることができた。

それだけ分かれば世界は静画などではなく、私も動けるようになっていた。

簡単なことだ。
彼女の功績を、彼女の歩いてきた道を、「あなたは本当にすごいね」と言ってあげられる人間であることだ。

たとえ心からの理解はできなくとも、そばに居続けることはできる。

手は握れなくても。
ある日突然に彼女が私の前から去ってしまうとしても。
この思いが届くことのないものだとしても。

あなたのことを分かっていると、一番大好きだ、と伝えたい。
私の願いなど、最初からそれだけだったのだ。

私は、あなたのことが好きです。

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