海が見たい

メモ置き場。自分の話をします。

20200221 正気度喪失体験メモ

20200116

自分が手に書いたメモが目に入る。

とたん、世界がパキッと鮮明になったように思えた。

あやふやな世界に、たしかに自分によって、自身の思考・現状が記されたメモ。

それは、ここがあやふやでなくたしかに存在していることの証左であるように思えた。

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「お前たちは私を理解しない」

「お前は私を理解しない。私を慮らない」

「私は

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職場に出てすぐのエレベーターの中でSAN値がゴリッといったときのメモ。正気度喪失体験。

>2020/03/03

この「なんか知らんけどヤバい状態になった⁉︎」ってときに

①これ知らないやつだ、もうちょっと奥までみていこう

②記録しなきゃ(セーフティの意味でも、お土産の意味でも)

③なんでこうなっているのだろう?

を即時判断で全部やっているの、自分でそうあるように整備しておいてアレだけどちゃんと働いてエライぞ、という気持ち。
かつ、どうしょうもなくそういう人間っスねぇ〜これいかんともしがたいっスねぇ〜みたいな諦めとフフッと感がある。
さすがにいのちだいじにの判断はできると思っては……思……思えない……。
微塵も信頼できないので、そのへんのセーフティネットは作っておいた方がいいですね。撤退ラインをマニュアル化してお、く。ハイ。
難しくない……?調べて。ハイ。

俯瞰の人間だなぁ、と最近思うようになったけど、中にいたらどうなっていたのだろうなぁ、みたいな揺れ方だった。

今ココ、感覚、接触、みたいなものに、いわゆる五感の情報に意識が持っていかれる(集中する/興味を惹かれる)と意識が中に引っ張られる印象がある。
遠くに行き過ぎて無理になったときや、今に集中するときに有効。
前者はセーフティネットとして身体が勝手に指令を出すようになっている、ように思う。
同一の(近しい)体験で無理やり引き戻される事例も観測されたので「なるほど覚えました」という感じ。

感覚としては救済のそれなのだけれど、「邪魔をするんじゃねぇ」「これ以上の負荷は耐え切らない」「やってみないと分からないだろうが」「邪魔をするな」「縫い止めるな」という文言が浮かぶあたり、これがアンビバレンスというやつかな?となった(新しい言葉を覚えたので使っていく)。

いきはよいよいかえりはこわいというか、片道切符の旅というか、踏み越えるにはやや不安がある思考の加速、動物としての身体や私を愛してくれたものに引き留められている感覚がすごい。
踏み越えてみないことにはこれ以上の観測ができないけど、このギリギリさ、技量不足なのでは……も否めない。
多分やるのだろうなぁ、というか、このように言語化したことにより「次のチャンスはやってみよう」となった。

よもや本当に壊れるわけでなし、不調が出たらそのとき考えればよいよい。

もともと残そうとした日記の内容からズレてしまった。

不思議の国のアリスしかり、胡蝶の夢しかり、そういう、現実が現実でなくなる、そういう体験だったのだった。
調べれば出てきそう。
何がトリガーだったのだろうなぁ……?日記、思考の記録だけでなく行動の記録もしてくれないと比較ができない。寝る前にやる よ。

2020/04/03 桜と人間は似ている話

桜も人間も美しく気持ち悪い。

良いデザイン、かくありたい、と同時に、複雑さ……構造による美は気持ち悪さを内包するというか、大差はない、同じものである、みたいなことを思った。

よくみたら気持ち悪い、よく考えたら気持ち悪い、そういう美しいや好感の対象を好む気がする。特にデザインはそう。

美しくないと対象外だけど、淘汰を超えた自然物も誰かの目指したロマンもおおよそ美しいを持つ。

2020/04/09 弱点

「肩が痛い」

「これを漕ぐと肩が痛い」


「どうしてほしい?」


「せんせい」

「漕がなくてもいいように」

「これを漕がなくても歩ける足に治してほしい」


「そうかぁ」

「そうだねえ」


なみだついでげろろ

つらい と しんじられない

よわさをきょようできないのはわたしのじゃくてんでもあります